視聴メモ TV 「ケネディ大統領への背信 (後編)」 | 雑雪帳

視聴メモ TV 「ケネディ大統領への背信 (後編)」

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2013年放送。
ベトナム戦争初期、大統領の方針がある理由で捻じ曲げられる背景が個人的に衝撃を受けました。

■ ケネディ大統領への背信 後編 キューバ危機 そして反転攻勢へ | BS世界のドキュメンタリー | NHK BS1
1961年秋


・ケネディ大統領
フランス植民地時代末期のベトナムを訪れており、ベトナムの人々の運動を打ち負かすのは不可能と考える。
ベトナムに戦闘部隊を投入する気持ちは無かった。
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・アメリカ軍と情報機関
「ジェム大統領を援助し南ベトナムを北ベトナムから守るのは我々の道義的義務である」
アメリカの戦闘部隊を投入すれば反政府勢力を打ち負かせる。

テイラー・ロストウ報告
1961年11月 : ベトコンを倒すため南ベトナムに4万人の兵士、北ベトナムや中国の介入などの不測の事態に備え13万人規模の兵力を置く。
→ケネディ大統領は拒否、政治的な理由で数千人規模の軍事顧問団を派遣

・南ベトナム
反共産主義 : ゴ・ディン・ジェム政権

・北ベトナム
反政府ゲリラで南ベトナムに揺さぶり

1962年


・キューバ危機が発生

・軍事顧問団
命令に反し戦闘に参加しようとしていた。

・北ベトナム
北ベトナム指導部が脆弱なのでアメリカの南ベトナム介入に危機感、南ベトナムとの対話や合意、解決策が必要と論じ始める。

・インド大使 ジョン・ケネス・ガルブレイス
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1954年 : インドシナでフランスの敗北を目の当たり
1962年4月 : ケネディに手紙、インド政府が北ベトナム政府との交渉窓口になりうる、北ベトナムが南での反政府活動を減らすことを受け入れればアメリカは軍事顧問団を撤退し始め、緊張緩和ができる。
→ケネディ大統領は賛成
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・アヴェレル・ハリマン
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アイゼンハワー政権からとどまる大半の国務省幹部の右寄り意見、官僚機構を動かすためにケネディはアヴェレル・ハリマンを起用。
1961年11月 : ベトナムへの軍派遣に反対。

→その後 南ベトナムへの派兵を求める軍と国務省の連合勢力へ鞍替え
→ケネディはハリマンの寝返りを理解していなかった

・アヴェレル・ハリマン文書
ケネディ大統領がハリマンにインドのガルブレイス宛の電報を打つように命じる。北ベトナムとの交渉チャンネルを確立するよう指示。

相互の段階的な兵力縮小に触れている部分をハリマンが鉛筆で削除。
→電文自体がガルブレイスに送られず。大統領の指示を国務省幹部が削除、ケネディ政権内に広がっていた空気を反映。
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1963年10月


・ケネディ大統領
南ベトナムに駐留する軍事顧問団を段階的に撤退させる方針

・国家安全保障行動覚書 263号
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1万7000人余りのアメリカ兵撤退を許可。1963年末までに1000人、残りは1965年末までに撤退予定。
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・マイケル・フォレスタル
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国家安全保障会議のメンバー、東南アジア問題を担当。
ケネディとの会話
「ベトナムに対するアメリカの政策を洗いざらい再検討したい。アメリカがそもそも介入すべきかどうかも含めて」

・キューバ
ケネディが暗殺直前、カストロとの和解を考える。
ケネディ・ライブラリーに保管されている秘密文書「キューバ指導者との接触1990年代後半まで機密扱いの事」

1963年11月


ケネディ大統領、裏ルートでカストロ政権と話し合いの可能性を探る。

・フランス人ジャーナリスト ジャン・ダニエル
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10月 ケネディ大統領と面会。キューバに行く事を知ったケネディ大統領はカストロへのメッセージをジャン・ダニエルに託す。
11月22日 カストロと面会

・ケネディ大統領暗殺
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